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2009年07月28日

同窓会

3ヶ月に二度、くらい同窓会を開催しています。とはいうものの3人か4人、まぁ全員そろって4人。中学高校時代を裕福に暮らした私立学校の同級生です。一人はK君で、KOへ行って卒業後まともなサラリーマンになり、やがて大きな病院の事務長を20年ほど勤め定年退職。もう一人のK君は地元の産業絹織物の染物屋の次男坊に生まれ、学生時代はやんちゃな子でしたが、実家で職人仕事を積み重ねて立派に人に説教する身分になっています。

俳優座を卒業して中堅どころの俳優としてTVや映画にも出演してきたT君がもう一人です。会うともう学校時代そのままになりますが、結構楽しいもんです。4人いて初めのk君と僕は酒が飲めません。だからみんなでなんとはなしに食事して、それで終わってしまいます。結局3時間ぐらいの会合ですかね、それがとても楽しいんです。

高校時代仲が良くて、ということを意識しませんでした。その意識がなかったのは僕だけかも知れません。もともと今でいう引きこもりが心地よい性格でしたから、自分から彼らに声をかけることはほとんどありませんでした。そう思っていました。でも5月にあったときそんな話をしてたら、そりゃぁゆうちゃん違うよ、とT君から言われてしまいました。

彼は上智へ行き、僕は立教でしたがよく四谷へ遊びに行ったような記憶があります。でも彼は2年でやめて俳優の道へ進みました。高校2年の時でした、生徒会選挙に彼と僕が立候補したのです。僕はクラス全員の票52だか3だか4だか忘れましたが、それ以上60票を超える票をもらいましたが、落選でした。彼が歴史的票数全校500票のうちの7割近くを獲得したからです。

彼は僕を副会長にしましたが、悪い性格を持つ僕はひねてしまい、ほとんど彼に協力することなく、図書委員長としての肩書きを大切に専念したように覚えています。彼の前の生徒会長も日活の役者になりましたから、まぁぼくらは優秀な範疇にはいるのでしょうね。などと自画自賛であります。

そのときもう一つの話題としてどんな死に方をするんだろう、という話になりました。僕は強く主張してしまいました。水泳部で背泳を2年間やったせいで、水がすごく怖いのです。大体高校生のころは良く分からずに体を動かしてましたから、そんな状態になると危ない、という認識がありません。25mプールを2時間近く行ったりきたりして、「泳ぎこみ」をするのです。もちろんテーマとして与えられるのは時間ではなく、今日は2km泳げ、とか夏休み中は午前1.5k、午後3kmみたいな言い方になりますが、なんせ25mプールじゃ往復回数を数え切れなくなります。100mで2往復ですから、1キロになれば20往復です。そんなもん数えていられるはずがありません。

だからだらだらと延々泳ぎ続けることになって、ほんとうに疲れきっちゃうんです。同志社へ進学した奴が部長をやってました。彼は肉やの息子で初めて牛タンを食したのは彼の家をみんなで襲撃したときでした。で、彼もいい加減だから、というのは彼も5-6人一緒に泳いでる人間の往復回数なんか覚えていられない。そこで泳いでる奴の目を見てたんだそうです。なんせ1シーズンに3回ぐらいしか水を替えず、塩素をぶち込んでしのぐようなことをしてましたし、競泳用のめがねなんか存在していません。したがって30分ぐらい泳いでると目が真っ赤になったもんです。いやいやちょっと長くなりました。

要するに、そのときの息苦しさが突然蘇ってくるんです。おぼれかかるようなことはありませんでした。それではなく、ただただ延々泳ぎ続けることに飽きちゃうんですね。泳ぎながらだんだん顔が沈んでくると息苦しさもひとしおです。タイタニック号沈没映画などとても見られません。それから007など役者がどのくらい息を止めていなければならないか分からないのに、とりあえず飛び込んで泳ぎだす場面をみると、もうたまらんのです。だってそうでしょ?息継ぎができなかったら水飲んで死んじゃうんですから。

そのときの気分が水泳部練習中の水の中につながってきて怖くなるんですね。で、はじめに戻って、「俺は後10年も生きたらもう死んじゃおうかと思ってるんだ。多分健康だろうから」 なんせ元水泳部、心肺機能は特別鍛えてあるんです。「食を細くしてさぁ、半年ぐらいかけて意識がなくなるなんて最高だと思うんだ。ほんと、生きてるってめんどくさいよな、飯食って出して・・・」
そしたらきっちりまぜっかえされました。「そういうやつは 結局100越えて生きちゃうのよ」 えっ?あんまりいい落ちじゃない?次回をご期待ください。ハイ・・・
posted by 管理者 at 20:49 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月27日

ミレニアム(続)

本を紛失した2日後、財布にあったレシートの電話番号で店に問い合わせると、本は保管されていた。
調べてみると、上巻の後半1/3を読まずして違和感なく下巻を読み終わった事が判った。自分が聡明なのか粗雑なのか判断に迷ったが、本はメインのストーリー以外にスウェーデン社会に関する様々な情報や知識に溢れており、粗筋を辿る分には、この程度の欠落は関係なかったのだ。

内容は5部に別れ、各部の始めに、次のような驚くべき数値があげられていた。
スウェーデン女性の18%は男に脅迫された経験がある。46%は男性に暴力をふるわれた。13%はパートナー以外の男から性的暴力を受けた。その92%が警察に訴えない。
この事実の告発がストーリーの底に流れるテーマだった。

スウェーデンは昔から性の解放の先進国であることは有名だったし、この本にも我々からすると乱脈としかいえない事が平然と語られている。
そして、このような国は女性の権利、人権が尊重されている社会だと漠然と思っていた。

しかし、もし、この数値(%)と日本のそれと大きな差があるならば、これは単なる国民性や文化の差を越えた肉食と草食、狩猟と農耕民族との差ではないのか、と言いたくなる。
昔、一度ストックホルムに行った事がある。レストランで食事をした時、相手に「これは何の肉か判るか」と言われた。ローストビーフに似た、また少し違った色・形・味。しばらく考え見事「鹿」と言い当てた。頭に浮かんだのはトナカイだったが言葉が出なかった。
posted by 管理者 at 16:29 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

ミレニアム

世界的ベストセラーということでミレニアムを読み始めた。
スウェーデンを舞台とする沢山のテーマが混じった社会派のミステリーエンタテーメント。
図書館に申し込んでいたら、1〜2ヶ月以上たって、数日前、4冊同時に借りねばならないことになった。
少々迷惑。
これはシリーズ3話、各話上下巻、合計6冊の内の4冊だそうな。

登場人物の名前が50人以上になるのが煩くいやになるが、面白い。
副題は「ドラゴンタトゥーの女」というかっこいい名前。
児童精神施設から、かろうじて救い出されたハッキングと記憶力に関する特異な能力をもつ刺青とピアス満載のパンク調の若い調査員。
育った環境から人を、特に世俗的な男の大人を、拒絶してきた彼女が心を開く数人の男達。
小説の中年の主人公とこの調査員は恋愛関係になり、彼女は自分が男に恋をしたことに気づきうろたえる。
彼女の内面やストーリーの中心となる犯罪には、カウンセリングで勉強したような事が沢山出てくる。

ところが、一昨日、映画の帰りに居酒屋で飲んでいたら隣の女性と話し込み、はしご酒をする内に酔っ払ってしまい、手元の一冊を紛失。
財布は失くしてないので幸運と思うべきだろう。
posted by 管理者 at 18:26 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

野良猫

この季節になると、窓を開ける機会が多くなる。
開けると、ムッとする猫のオシッコの臭いが鼻につく。猫嫌いの人ならたまらないだろう。

庭には常駐する親子の牝猫と頻繁に来る耳の聞こえない牡の親猫、そのライバルの牡の白猫がいる。
野良猫に餌をやるというより家の外で飼う外猫だ。
幸い、近所からは文句は出ていない。2匹の牝の親子は私が捕獲機で捕まえて避妊手術をしたので、今でも、私を少し警戒する。

10年ほど前は牝の家猫が2匹いた。
今の野良猫はみな太って、太いあるいはぶつ切りの尻尾だが、家猫は2匹とも痩せて、細く長い優雅な美しい尻尾を持っていた。
一匹は黒猫、一匹は茶トラ、今思えばどちらも綺麗でスマートで、最近には珍しい美しい猫だった。

特に、茶トラのミーは冷たい目をした女王様。
人間を人とも思わぬ野生の猫。身の丈ほどの生魚を尻尾からバリバリ食べ、用便は全部外。
気に食わないと家人をも引っ掻いたり噛みついたり、高い棚からオシッコを盛大に撒き散らす。
ところが、この傲慢なミーは家の外で家族に会うと、優しい鳴き声で駆け寄り甘えて抱かれる。
家の外と内でのそのギャップ、その奔放ぶりが家族の賞賛を一身に集めた。

ミーは丁度彼岸の日に紙のように薄くなり17年の生涯を閉じた。
庭に埋めた遺体の側の葡萄の木が大きくなった。

この野良猫達も、いずれ皆いなくなるだろう。
庭から臭いが消えホッとし、少し寂しくなるだろう。
posted by 管理者 at 16:01 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月10日

東京ソナタ

都内、線路の側の小さな家に住む、表面的にはごく普通の4人の家族。
リストラされたことを家族に言えない父をはじめ家族全員がどの家庭でもあるような問題を抱え、ことは次第に大きくなる。

4人皆がいい人でありながら、否応なく、破局に向かうのは、家の側を通る度に家を揺るがす電車のような、軋みつつある世界につながる大都会東京の殺伐とした現実です。

繰り返される、家の窓越しの電車の通過シーンと食事のシーンは、家族を壊そうという力と繋ごうとする力の衝突にも思える。

そして全員が秘密を抱えたまま壁に突きあたり挫折し、その後、それぞれが自ら立ち直り、家庭が再生する4人のソナタ。

問題の重さの側に沢山の笑いがある。
多くの賞をとっただけありとても面白い。

ところで、映画のラストに次男がピアノを弾くシーンがある。
普通、音楽は俳優ではないプロが弾くので、映像と音を一致させるには、役者の顔の映らない手元と音のシーンか、役者の姿だけ映して手元を隠すか、遠景で役者の手元が良く見えないシーンかのいずれかになる。
ところがこの映画では、俳優の全身を映したワンショットで全曲を演奏させた。しかも、俳優の手と音があっている。鮮やかな手つき。これはどういうことか?。

ほんとにピアノが上手な俳優?。まさかCG?.眼を凝らすと少しおかしいようだが、判らないほどうまい。私が大好きな曲だったが、注意は一瞬たりとも音楽に向かず手元を見つめていた。
このシーンは監督の挑戦のように思えた。さあどうだ、わかるか。
映画終了後エンドロール?でみると、やはり音楽はプロ演奏。
あの小僧なかなかやる。
posted by 管理者 at 13:59 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月27日

記憶

神戸の新開地から神戸駅に向かう途中、宮崎産地鶏をうたった飲み屋に入った。
すでに数人のお客がいて、奥の座敷には若者が宴会中。
中年のママさんが、お客相手に、料理をしながら丁々発止。

焼き鳥を注文して、しまったと思った。東国原知事の宣伝にのせられ以前食べたが、このタイプは嫌いだったのを忘れてた。
大きな豆を鞘に入ったまま焼く料理はうまかった。
ビールを飲みながらぼんやりしていると、ママさんが「お客さん初めてじゃないね」。「えっ、初めてなんですが、、」と小声で呟くが、ママさんはもう他のお客につっこみを入れている。

大きな鰯、という品札を見て注文すると「お客さん九州の人でしょう」「はい、そうです」「やっぱりね」。なにがやっぱりなの?。

しかし、この店は初めてのはずだが。数ヶ月前に来た時は、、いや、あの時は、三宮で飲んだ。その数ヶ月前は、、あの時も三宮だ。その前は。。
私は神戸大震災の前に神戸に1年ほど住んだことがある。その時は、いろんなところで飲んだが、ここは初めてのはずだ。
それとも自分の記憶違いか?。

そっとママさんを見るとニコッと笑う。つられてこちらも笑う。
自信ありげなママさんの態度。
料理しながら機関銃のような会話。頭良さそう。記憶も良さそう。

そういえば、最近、物忘れが気になる。歳が歳だからこれで普通のはず。でも。。
TVドラマの警察での取調シーンを思い出す。
「お前はこう言った」「いや言ってません」「もう忘れたのか」「お前、頭確かか」軽蔑したような眼。

一瞬でも自分を疑うと、とめどなく自信を失う。。ずるずると底なし沼のように。

ああいやだ。酒飲んで忘れよう。
posted by 管理者 at 11:31 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

映画

この2週間で3本の映画を観た。
チェインジリング、七つの贈り物、パッセンジャーいづれも肩の凝らないハリウッド映画だが面白かった。
パッセンジャーの作りには仕掛けがある。観た人は多分ある映画を思い出すだろう。七つの贈り物にも語りに仕掛けがある。
いづれも仕掛けが判ったら興味半減。それでも後味が悪くないストーリーは救いだ。観客を楽しませ驚かせようと手を尽くしたらこんな仕掛けの映画になるのか?。
その点、チェインジリングは正統派。C・イーストウッドがついに音楽まで作る。単調なメロディーだがなかなかいい。映画にピッタリ。
この映画は実話だということが、あり得ないような展開から生れそうなシラケを事実が押さえつける。事実は小説よりも奇なり。事件を生んだ暗い時代と都会。
振り返ると3本に共通することは、ストーリーに謎があること。謎は観客を引き込む大きな推進力。謎を追って夢中になる小さい頃からの探偵小説好きは歳を取っても変わらない。
勉強会では、クライアントのデータに基づき、クライアントの症状を説明するストーリー(仮説)を幾つも組み立てねばならないが、これが難しい。
先生が語るストーリーはいつも意外がだ説明を聞くとなるほどと思う。先生のストーリーを聞く事は私にとって、犯人は判っているが動機が判らない推理小説を読むことと同じ楽しみだ。
posted by 管理者 at 12:46 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

秋葉原殺人事件

恐いですねぇ、みんなが相手になってくれないんだもん、という理由により彼はインターネットへの書き込みでモチベーションを高めながら、みごとに目標を達成してしまったわけです。でも?

世の中に出る場合、ほとんど一人で出てきます。このごろは五つ子なんてあるようですが、そんな場合でもお互いを意識しているかどうか、おそらくかれらも分からないのではないでしょうか?

ぼくには1967年から数年海外で暮らす機会がありました。それまでの20+アルファ年間いつも身近に兄弟がいて、祖母が二人に祖父が一人、それに両親がそろっている中で生活していましたから、いったいこりゃなんじゃ!というのが正直な感想であり、食事の心配から着る物の洗濯まで全部自分がやる、やらないでいたら誰かがやってくれることはない、というキツイ気分を心に留めるまで2−3ヶ月かかってしまった記憶があります。

心理的に言うなら、秋葉原殺人事件の犯人は追い詰められていた、そういう気分になっていたものと考えるのが普通です。何でそれまでに周りの誰かが気づいてあげなかったのか、などというのはまったく犯人の周囲にいなかった人が言えることで、そもそもあまり言ってはいけないことの中に入るせりふだとぼくは考えます。


人が周囲に寄って来ない、それは本人に魅力がないからでありまして、それに尽きるのでは?じゃぁ魅力ってなによ!一般的に魅力的な人と表現されるところの魅力をぼくは言っていません。生まれが違い、育つ環境が違えば同じ気質を持っていても、結果には大変な違いが出る、そんなこたぁ皆さんご存知でしょうが、じっさいどのくらい違うのかをはかる物差しなんかありゃぁしないのです。

人が自分を避けている、そう感じるときがありました。急になんですが、子供のころ近所の仲間になかなか入れなくて母親に付き添ってもらい、お願いに行った記憶があります。この場合ぼくは彼ら=近所の子供に嫌われていたわけではなく、単に自分に意気地がないため「遊んでよ」、あるいは「仲間に入れてよ」あるいはもう一歩「それ面白そう、教えて!」みたいな素直な感情表現ができなかったためだと、今になれば理解できます。

昔から「子供は残酷なもの」ということになってます。それは、世の中のことを知る媒介に両親、兄弟が介在するところから、人に対する自身の考え方を持つことなくいきなり10歳も20歳も年上の人たちが話しているところから吸収した、というより、その中から自分に気に入った言葉を記憶して無意識に利用してやろう=これすなわち学習でありますが、という積極的な気持ちのなせる業であろうと思うんです。

したがってそばにいる年上の人、あえて大人とは言いません、にはこまっちゃくれて聞こえたり、乱暴に聞こえたりするわけです。

で、殺人犯人のどこにあるのか?子供のころの環境でしょうね。親には申し訳ありませんが『良い子』でいることに何よりも価値を認めていたのでしょう。ただし、良い子でいてもほめることはしなかった。それがあたり前であるような顔をして接していたのでしょう。多分感情の交流がなかったのではと考えてしまいます。子供にとって、これほどつらいことはない。何をしてもわけがわからず、とりあえず良い子にしていれば黙っている親がいる。

だから感情がどっかに仕舞いこまれて顔を出さないままに、秋葉原へ突っ込んだ。さびしいやぁね、ホント!

yinoway
posted by 管理者 at 09:05 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月22日

ジクゾーパズル

カウンセラーはクライアントから得られた情報を基にクライアントの症状を説明するストーリー(仮説)を組み立てる。
全ての情報を使い、複数のリアルなストーリーを創ることはとても難しい。

勉強会では、先生が幾つものストーリーを簡単に紡ぎだすのを、手品師が空の帽子の中から次々と物を取り出すのを眺めるように、驚きつつ嬉々として聞いている。

ところで、クライアントの情報をジクゾーパズルのピースとすると、ストリーは台紙に組み込まれたピースが作る絵である。
ピースとピースの間の隙間は、まだ得られてない情報である。
隙間が少ないほどくっきりした鮮やかな絵になる。

最近、先生のストーリーを聞いた時の感動には2種類あることに気づいた。

先生は、ピース群が脈絡のないバラバラな情報に見えるとき、台紙を大胆に曲げ、捻り、その曲面にピースを配置する。
そうすると全体として思いがけない構図が見えてくる。
これはいわばマジックみたいなもので、その鮮やかな手つきと奇抜な曲面に呆然と見とれてしまう。

もう一つは、全ピースがピッチリと隙間なく組み合わされたコンパクトな平面の絵である。
これに対して先生は、面白くない、いじり様のない、平凡なストーリーと言うが、私には、この小さな推論を積み重ね、ピースとピースが1mmも動かしようのない緻密な絵の方に、より感動することが多い。



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2008年05月02日

映画

昔は、少々小難しい映画やマイナーな秀作に凝っていた気もするが、
最近は、地金が出てか、気楽なSF、CGもの、ミステリー、ハリウッド映画によく行くようになった。

先日、ノーカントリーとゼアウィルビーブラッドを観た。
最近の配給会社はだらしなく、いい日本語のタイトルをつけるための苦労を回避する。
それなら、いっそう、英語のまま書け、と言いたくなる。

ところでこの映画は、評判になるだけに面白い。幾つかの賞も貰ってるようだ。
しかし、二本共が、剥き出しの欲望、冷酷、暴力、血、死、汗と脂(油)、殺伐とした風景
といった映画で、米国は変わってしまったとしみじみ思った。

この重く、ザラザラした、やりきれない映画は米国の真実をついているのだろう。
楽しくはないが、動かしがたい迫力がある。
これが9.11の結果か?。

これまでも、暴力、血、死といった映画は何本もあったが、どこか質が違う。
この壊れ方はもとに戻らないように思える。
日本とは異質のように思える。
しかし、日本の社会も、また米国と違った風に壊れている。(F)

posted by 管理者 at 16:56 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする